野外劇場(椿組)
Open-air theater(TSUBAKI GUMI)
会場情報
- 開館:
- 1985年(花園神社野外公演開始年)
- 閉館:
- 2024年(花園神社野外公演終了年)
- 所在地:
- 東京都新宿区新宿5-17-3(花園神社)
- 概要:
- 劇団『椿組』の「夏の風物詩」と言われた東京都新宿区、花園神社での野外劇場。
「俺たちの遊び場は俺たちで創る」をモットーに野外劇・時代劇を中心とした雄大なスペクタクル・ロマン劇を目指し、花園神社で夏の野外劇を1992年から毎年続けた。2024年39回公演『かなかぬち』〜ちちのみの父はいまさず〜で39年間続いた花園神社での野外公演を終了。 - 沿革:
- 劇団『椿組』
主宰、外波山文明(とばやま・ぶんめい)が1971年、釜石の公園で仲間と野宿しながら「椿組」の前身となる「はみだし劇場」旗揚げ。
劇場に拘らず、東北・北海道の街頭、井の頭公園、石神井公園、八幡山の公園、神社お寺境内、多摩川河川敷など様々な場所を舞台とし上演し続けてきた。
なかでも1974年の多摩川河原(登戸)の野外劇『唄入り乱極道』は東京都側から役者20人が松明を持ち歩いて川を渡り登場し、中州で火を燃やしたりジープを走らせるなど伝説的な公演だった。
以降、現在に至るまでポスターのイラストを手がける黒田征太郎ともこの公演で出会う。
1975年には「シルクロード1万キロの詩・祭旅」と称し仲間4人でアラブ・アジアなど5ケ月間放浪旅芝居を敢行、話題に。
1979年、芥川賞作家・中上健次との出会いで生まれた野外劇「かなかぬち」を浅草、熊野本宮、山形月山、横浜本牧、下北沢空地、南木曽桃介橋河川敷などで壮大な野外劇として展開し評判を得る。
1985年、唐十郎の状況劇場が行っていた花園神社での公演に憧れ、神社に直談判し『南部義民伝・またきた万吉の反乱』を(立松和平・脚本/麿赤兒との共同演出)で花園神社野外テント公演を実現。
1990年「はみだし劇場」から発展させ、新たに「椿組」としてプロデュース公演を上演し活動の場を広げる。
「俺たちの遊び場は俺たちで創る」をモットーに野外劇・時代劇を中心とした雄大なスペクタクル・ロマン劇を目指し、花園神社で夏の野外劇を1992年から毎年続けた。同時代の多様な作家、演出家との共同作業により、多くの作品を創作する。
その活躍の場は野外劇に留まらず、劇場公演でも数多くの話題作を提供してきた。
2024年39回公演『かなかぬち』〜ちちのみの父はいまさず〜で39年間続いた花園神社での野外公演を終了。
仮設テントの劣化、高所作業の法令厳密化、夏の猛暑、外波山自身の年齢、劇団員の今後を考え、野外劇の継続は難しいと判断。
「39年目、サンキューありがとう」と区切りを付けた。
2025年4月より劇団員共同プロデュース形式の新生「椿組」として再スタートを切る。
第50回紀伊國屋演劇賞特別賞(舞台監督賞)、第3回花園賞を受賞している。 - 関連リンク:
- 劇団『椿組』公式サイトhttps://tubakigumi.com/index.html
代表作
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「かなかぬち」〜ちちのみの父はいまさず〜
初演(はみだし劇場):1979年6月 浅草・稲村劇場 最終公演(椿組):2024年7月 新宿花園神社境内特設ステージ
1979年に中上健次・外波山文明、共に33歳の時に、意気投合し書き下ろした中上唯一の戯曲だ。
事の始まりはその2年前、とある雑誌の記事執筆で“変な俳優が居る”との情報を頼りに中上健次側から取材依頼してきた事だ。紹介者はルポライターの戸井十月(その時の記事は中上健次著「破壊せよ、とアイラーは言った」に収録)。
新宿ゴールデン街のクラクラで初めて会う。同年代という事とお互い酒好きでウマが合ったのか、その後何度も会い酒を飲み交わした。そんな中で戯曲の依頼を・・・・が、当時中上は“戦後生まれ初の芥川賞作家”として若手作家売出中の身。出版社から作品依頼が殺到していた。そんな中で脚本依頼を受けてしまい他の編集者からは「やめろ!辞めろ!」の大合唱。
公演日を決めてはみたものの中々書き上がらない。作家からすると原稿の締め切り日を決めないと身に切実さが湧かないものらしい。で、当時の「新劇」に掲載する約束で締め切り日を決め何とか書き進んだものの遅々として進まず、その「新劇」も2週間遅れの発売となった。相当な難産の末誕生したのが「ちちのみの父はいまさず」(初演のタイトル)。
劇場は浅草にあった稲村劇場という見世物小屋。そこに泊まり込んでの稽古。実質2週間。その小屋が取り壊す事になったから何をしても構わない、という小屋主の許可のもと土の舞台で火を存分に使い、ラストは小屋の壁を取り払い浅草の夜空に身体中から火を吹いて舞い上がっていった(主役の男役は外波山)。
相当な話題にもなり、新聞雑誌でも多く取り上げられ観客動員も凄かった。こうしてこの芝居は日の目を見たのだった。
そうしてはみだし劇場は浅草を離れその年の秋、世田谷八幡山の空き地に野外劇・テント設営の場所を見つけ新たな活動へと進んで行ったのだった。
そして1983年、勝目千図さんの紹介で森敦さん縁の「月山祭」での上演へと繋がった。山形県・朝日村注連寺境内での野外劇と東北沢ニュージランド大使館敷地での野外劇は外波山演出で上演された。この時からタイトルを「かなかぬち」〜ちちのみの父はいまさず〜と変更した。
1986年、中上健次の故郷、そして物語の舞台でもある熊野の地での野外劇へと構想は膨らんでいった。 熊野本宮大社が明治の大災害で流されるまで建立されていた本宮大社跡地・大斎原での公演は、本宮町制施行30周年記念として3日間で2000人以上の動員で敢行された。この模様はNHKドキュメント・ETV8「隠国の野外劇」として全国放送され話題になる。
そのまま横浜本牧地区・小学校建設用空地での凱旋公演。これらは客席にも屋根のない完全野外劇として上演された。
2013年、中上健次没後20周年記念として花園神社野外劇で上演。この時から主役の男を山本亨に譲り外波山は座長役を務めた。そして外波山の故郷、信州木曽の南木曽町・桃介橋河川公園特設ステージでの公演もその壮大さで話題に。男のラストシーンの天空への飛翔を11tクレーン車を使い地上20mまでも吊り上げ天空に舞い飛んでいった。河川敷の自然を生かした演出は今も語り草となっている。
そして2024年の花園神社39年目の野外劇締め括りの公演として「かなかぬち」を決定。演出に中上健次秋幸三部作(岬・枯木灘・地の果て至上の時)を演劇化(芙蓉咲く路地のサーガ)した青木豪が演出に当たり、親族の許可を貰い構成、追加加筆もして新たな作品として上演し成功を収めた。
この「かなかぬち」という作品はこうして誕生から45年に渡り壮大な神話性と共に、数々の物語を創ってきた。
(文責 外波山文明)
【過去の上演記録】
●1979年(昭和54)6月 浅草・稲村劇場
●1983年(昭和58)8月 野外劇 山形県・朝日村 注連寺境内
●1983年(昭和58)10月 野外劇 東京・東北沢ニュージランド大使館敷地
●1986年(昭和61)7月 野外劇 熊野本宮大社跡地・大斎原
●1986年(昭和61)8月 野外劇 横浜本牧地区・小学校予定地空地
●2013年(平成25年)7月 野外劇 花園神社境内特設ステージ
8月 野外劇 南木曽町・桃介橋河川公園特設ステージ
●2024年(令和6年)7月 野外劇 花園神社境内特設ステージ -
椿組2024年夏・花園神社野外劇 「かなかぬち」〜ちちのみの父はいまさず〜
中上健次:脚本 青木豪:構成演出 友川カズキ:主題歌 山崎ハコ:挿入歌
2024年7月10日(水)~23日(火)13回公演 [16日(火)休演日] 毎夜7時開演(開場30分前)
●新宿花園神社境内特設ステージ[客席テント有り]
160-0022 新宿区新宿 5-17-3
■木戸銭
◎小椅子指定席A(背有り):5500円(60席)
◎ベンチ指定席B(背無し):5000円(90席)
◎自由席:4500円(80席/日時指定・整理番号付き)
◎学生・養成所割引き:4000円(自由席・証明書必要)
◎中高校生:2500円(自由席)◎小学生:1000円
【椿組とは?】
椿組は「自分達の劇場は自分達で造る!」を合言葉に「土の舞台」「毒の香りと祭りの要素」を含んだ芝居創りを目指し、毎夏新宿花園神社にテントを設営し野外劇を上演し続けて38年。過去から一貫して「野外劇の灯を消すな!」をモットーにさまざまな作家との共同作業にて良質な作品群、高水準な芝居創りを目指して活動してきた。
この作品は1992年46歳で亡くなった芥川賞作家・中上健次が33歳の時書き残した唯一の戯曲である。1979年に雑誌の取材で知り合った「はみだし劇場」の座長・外波山文明に頼まれ書き下ろし、浅草稲村劇場で上演され話題となった。
その後山形月山注蓮寺境内などで野外劇として上演され、1986年、物語の舞台でもある熊野本宮大社跡地・大斎原で壮大な野外劇として上演し話題に。
その稽古から本番を追っかけたドキュメンタリー「隠国の野外劇」(NHKETV8)の放送は演劇界に衝撃を与えた。
2013年には長野南木曽・百介橋河川公園で11tのクレーンで主人公の男を何十メートルと飛ばし話題となる。(その公演は全編動画配信として現在も公開中!)
「文学の復権」「ギリシャ悲劇を元とした親子、姉弟の確執」「見せ物としての演劇の復権」を掲げ、この芝居のテーマでもある「異形のものの哀しみ」「芝居の持つエネルギーの猥雑さ」を更に力強く提示しようではないかと、聖地花園神社での上演を目指す。
【「かなかぬち」〜ちちのみの父はいまさず〜 その時代背景と、物語。】
時は乱世・南北朝時代。日本の権力は北朝(京都=武家方)と南朝(吉野=宮方)とに別れ内乱状態が続いていた。その南朝・吉野から、さらに山深く入った熊野の山に「かなかぬち」と呼ばれる鉄の男が、その手下達と一緒に暮らしていた。その中には美しく男勝りで、むしろ「かなかぬち」以上に恐れられた女房も一緒に居た。彼らは峠に住み、行き交う旅人を襲い金品を奪い殺しては谷底に投げ捨てていた。又、都へ出ては家を襲い人々を焼き殺し、女を犯し、金品・衣類そして「紅」を奪ったりして悪の限りを尽くし人々から恐れられていた。 今は山賊のリーダーとして男共を従え走り回っている「女」も、かつては京の良家の女で幼い姉弟の母でもあった。女は都へ置いて来た子供の事を忘れようとするのか、荒ぶれた心を鎮めようとするのか、その暴れ方は異常であった。そこへ母を訪ねて旅をしながら彷徨う幼い姉弟。流浪の芸能集団。「かなかぬち」を仇と狙う花若。さらに時空を超えて登場する幻の獅子が絡み、物語は展開する。
ちゝのみの 父はいまさず、
はゝそばの 母ぞ かなしき。
はらからの我と、我が姉
日に 夜に ばえにけり。
怒ります見れば
泣き濡れて くどき給へり。
そこゆゑに、母のかなしさ―。
(釈迢空 古代感愛集 「追悲荒年歌」より)
『来るなら来い、愚かな者らめ。
天空への道は
光が光りすぎる 闇じゃ!』
(椿組2024年夏・企画書より) -
「椿説 丹下左膳」について雑観 椿組座長・外波山文明
脚本:菊池豊
初演:1981年6月八幡山テント 最終公演:2023年7月新宿花園神社境内特設ステージ
「はみだし劇場」は 1971年東北旅公演街頭芝居で旗揚げし、その秋に東北日本海側から北海道旅公演 敢行、野外劇、福島湯本の一軒家、多摩川河原野外劇、寺、神社、果てはシルクロード祭旅を経て浅草 見世物小屋・稲村劇場で3年5本公演の実績を残し八幡山テント公演へと遊び場を移した。
「俺たちの遊び場は俺たちで創る!」をモットーにあらゆる場所を芝居の場所へ作り替え、劇場創りを楽しんで来た。その八幡山でのテント公演の中で「丹下左膳」は産まれた。
作家・菊池豊との共同作業の中で、片目片腕の剣鬼・丹下左膳の物語上演をと企画された。
実は菊池はその6年ほど前から大腿骨頭壊死という難病に襲われ入退院を繰り返し、手術を経て松葉杖
なしでは歩行も困難な状態となっていた。そんな時外波山からの「時代劇を書いてくれないか?」との
依頼に片輪者の丹下左膳なら書けるかもしれない、と後述している。
八幡山のテント公演の三作目として土の舞台で繰り広げられた。
巨大な蛇と共に橋の屋台崩しなどが話題となる。
この作品は「はみだし劇場」の当たり狂言として 1988年には拠点としていた吉祥寺ロマン劇場2階のサウナ風呂跡地のコンクリート剥き出しの部屋に砂を運び込み、土間を作り上演された。
12日間の公演期間の残り4日を切った時に吉祥寺消防署から査察が入り、劇場法違反の疑いで取調べを受けた。サウナ風呂跡地を劇場として使うのに届け出をして無かった為だ。
が、その書類のやりとりをしている間に楽日となり無事幕が降り始末書のみで公演は敢行された。
消防署も知ってはいたが無視も出来ず、注意はしたものの公演中止までは持って行かない温情処置だったと思う。ありがとうございました。
そして1985年より花園神社を借りられるようになり、その広さを利用して1992年「新版・丹下左膳ʼ 92」と改題して巨大な太鼓橋を作り屋台崩しに挑戦。
当時は火の演出も思う存分使え、人吊りや壮大な野外劇を上演していた。
その後この作品は大きく化けていく。
1999年8月「丹下左膳’99」は山本亨、宮本裕子をゲストに迎え40人近い役者陣で大川端の群像劇と して花園神社の土地を疾走した。
そして2023年7月「丹下左膳’23」は再び山本亨、宮本裕子で西沢(栄治)演出を得て完成形を見せた。
腐敗した江戸の町に河原者達の叫びが聞こえたか!
作家・菊池豊はチラシにこう記していた。
「この夏、久しぶりに片目片腕の剣鬼、丹下左膳が女物の赤い襦袢をちらつかせながら新宿・花園神社 を駆け巡る。初演が1981年。以来42年、左膳は5度目の登場だ。そのたびに花のお江戸に殴り込 みをかけてきた左膳。今回はどんな花を蹴散らすのか?思い起こせば左膳はそもそも相馬中村藩の藩 士。刀剣マニアの主君の命を受け、名刀の誉れ高き乾雲・坤竜を入手すべく江戸に来たのだった。相馬 中村藩は現在の福島県浜通り北部。いやがおうでも東日本大震災の津波や原発事故が思い起こされる。 そうなのだ、今回の丹下左膳の乱暴狼藉にはこれまでにない陰影が刻まれるはずだ。」
【過去の上演記録】
●1981年6月「椿説・丹下左膳」八幡山テント公演 菊池豊:脚本/林流太・田村・外波山共同演出
●1988年2月「「椿説・丹下左膳」吉祥寺ロマン劇場 2 階サウナ風呂跡地 菊池豊:脚本/田村寛:演出
●1992年7月「新版・丹下左膳ʼ92」新宿花園神社野外劇 菊池豊:脚本/田村寛:演出
●1999年8月「丹下左膳ʼ99」新宿花園神社野外劇 菊池豊:脚本/和田喜夫:演出
●2023年7月「丹下左膳ʼ23」新宿花園神社野外劇 菊池豊:脚本/西沢栄治:構成演出
特集
椿組の野外劇場について
文・資料提供:吉木均(舞台監督)
先日39年間の花園神社野外劇の幕を下ろした椿組の野外劇場の記録としてテントを建てるための図面や資料、美術大道具や仕掛け等の資料をJATDTのホームページの「劇場空間の足跡」のコーナーに載せたいとの話を舞台美術家の伊藤雅子さんから頂きました。この時、出来るものなら私の記憶とデータが消える前に残してみたいと思うようになりました。この機会をくださったJATDTに感謝いたします。
これは、椿組の外波山さんと「はみ出し劇場」の頃から数えると40年以上の長きにわたり野外劇あるいはテント芝居、野外劇場に裏方として(特殊小道具・テント設営監督・舞台監督などで)かかわった私の体験からの私見です。椿組にかかわった他のセクションの方からはまた違う見解が出てくると思います。(笑)
<吉木 均 (よしき ひとし)プロフィール>
1957年11月8日生まれ 広島県出身
鳥取大学 農学部農芸化学科 卒業
主な職業:舞台監督
趣味:絵を描くこと、字を書くこと、物を作ること。
小劇場・ぬいぐるみ人形劇・人形劇・コンサート・イベントや発表会、海外からの招へい作品など様々な作品の舞台監督をつとめる。
ニューヨークでの在外研修後、日本から海外で上演する演劇・ダンス・和太鼓などの公演の舞台監督兼コーディネイターとして活躍。
「椿組の新宿花園神社野外劇」「結城座襲名披露公演」その他の国内公演と海外公演、「東京ゲゲゲイ」国内ツアー・中国ツアー・フランスツアー、鄭義信の作・演出作品多数、「流山児★事務所」の国内公演と海外公演などを手掛ける。
椿組(はみだし劇場)の新宿花園神社野外劇では特殊小道具・舞台監督・テント設営監督などで30年以上携わっている。
<内容>
1. 椿組はなぜ花園神社に仮設の劇場を立てての上演形態を取り続けたのか。
2. 花園神社の野外劇場は1年前からゆっくりと始まっています。(楽しくやるには準備が大切です。)
3. 稽古の始まりと作業場作り。
大道具や特殊小道具を稽古場で作らなければならなかった。
様々なサイズと数量のテント資材の発注!
4. 花園神社に入ってから12日も続く非常に長い仕込みを全て俳優たちと力を合わせてやっていきます。
・0日目 仕込み前日。墨出しと鉄材・テント資材の搬入
・1日目 テント仕込み初日。搬入とテント仕込み
・2日目 テント仕込み
・3日目 花園神社の骨董市と吉祥寺からの搬出・搬入とテント仕込み
・4日目 美術仕込み1日目
・5日目 美術仕込み2日目
・6日目 美術仕込み3日目 午後から音響機材搬入と仕込み。夜には音出し。
・7日目 美術仕込み4日目 美術作業・照明搬入と仕込み・夜はシュート
・8日目 テクニカルリハーサル 夕方から明かり作り
・9日目~11日目 昼間は舞台稽古が始まります。夜は明かりつくり。
・12日目 ゲネプロ・舞台稽古の日です。雨でもやります!やりました!
・13日目 初日です。
5. 5つの舞台を取り上げてみたいと思います。
・本火が燃える土の舞台で人を吊り上げる「かなかぬち」
・野外でしかできない屋台崩し(壊し)「椿説・丹下左膳」
・テントで室内劇?「贋作・幕末太陽伝」
・江戸の芝居小屋「四谷怪談」
・野外の凸凹の土の上で舞台をスライドさせる「20世紀少年少女唱歌集」
6. 終わってからも数日間続くバラシと搬出、宇都宮と東京の倉庫への搬入と整理など。
1.椿組はなぜ花園神社に仮設の劇場を立てての上演形態を取り続けたのか
椿組の主催者の外波山さんが演劇を始めた70年代初めから80年代頃。当時は血気盛んで芝居をやりたいばかりの若者が劇場を貸してくださいと頼んでも、とても借りられなかったようです。当時は小劇場がなく、貸してくれるような劇場も少なかったので、胡散臭い若者には…
・楽屋と客席作り
そんな日本社会のすき間を縫うようにして、外波山さんはトラックで寝泊まりして移動しながら日本のあちこちで街頭劇をやったりしていました。時には仲間とヨーロッパのドイツまで行ってワゴン車を買い、ヨーロッパからシルクロードを通りパキスタンまで街頭劇をやりながら移動したりしました。「自分たちの遊び場は自分たちで作る」という姿勢がのちに野外劇・テント芝居へと繋がっていったようです。
・椿シルクロード
90年頃のバブル期に台東区が外波山さんと組んで「浅草天幕芝居祭」という企画を3年間やりました。浅草ロックスの横の駐車場に3か月間にわたりテントを張って芝居をするという企画です。当時の小劇場がこぞって参加したのは劇場費と基本の照明・音響費が無料だったことも大きいようでした。そして売り上げが全部自分たちのものになるのですから。
・椿 浅草・天幕芝居祭ポスター
この時に、椿組は「新宿梁山泊」に所属する一級建築士の大塚さんにテントの設計をしてもらいました。テントのコンセプトは「自分たちの所有する物はワゴン車1台に載るテントのコーナー金具とテントシートだけで、他はレンタル資材を使う」という事でした。この時に初めて椿組はいろいろな意味でちゃんとした“テント”を手に入れました。それが2024年夏まで使われておりました。
台東区役所の人からは「数億かけて1日だけ花火大会をやって数万人が台東区に来てくれる事より、3か月間いろいろな人たちが芝居を見に来て、その前後に浅草を歩いてくれるほうが活性化につながっている。」と言われながらも台東区内にテントを張れる広場が無くなったことで惜しまれながら浅草天幕芝居祭は終わりました。そして椿組は新宿花園神社へ戻ります。
・上手の袖中
椿組が花園神社の境内にわざわざ仮設の劇場を立てるのは、本水・本火・土(泥)・人形(特殊小道具)や、手法として確立していない色々なやりたい事が劇場より制約なしでやれるからだと思います。
また、花園神社でやっていくうちにノウハウ(いつの時期にやるのが一番天候的に安定し、ほかの祭事との関係が良いか、など)が蓄積されていったこともあります。
外波山さんが「夏の風物詩」と主張したのが定着していったということもあります。野外劇場を「夏祭り」と称していますが、実際そういう気持ちがないととてもやっていられません。私も、安全に考慮しながらも「スタッフ、キャストみんなが楽しくやれたらいいなあ」と、思って準備し実施してきました。
また、1か月間の屋外なので雨が降ったり日が射したり台風が襲来したりします。そのため、セットも小道具も衣装も泥だらけで雨だらけでとてもレンタルはできません。そうすると必要なものは自分たちですべて作るしかなくなってきます。それに何より作るのが楽しいですし、夏の野外劇場のお客さんも楽しみにしてくれているようです。
本番中に明治通りをサイレンを鳴らして救急車が通っても、土砂降りの雨で「ええ、天気やなぁ」というセリフがあっても、作り物が少々雑だったりしても、お客様は楽しんでくれたと思います。 (笑)
俳優の山本晃さんが共演者に「まだそんなこと(野外劇)やってるの?」と言われた時に「何いってんだ。一番おもしろいことをやってるんだ!」と言ってくれたそうです。これは椿組にかかわる人たち全員の気持ちです。
経費的に考えると、東京のド真ん中、新宿にある神社の境内の1か月の貸借料、建築足場や、平台・パネルなどのレンタル料金、客席、舞台、楽屋、受付やそのほかのバックヤードを作る労力を考えたら、同じキャパの劇場を上演日数分借りたほうが安いです(笑)。 劇場にはエアコンも楽屋も客席もありますし…(笑)
2. 花園神社の野外劇場は1年前からゆっくりと始まっています(楽しくやるには準備が大切です)。
・打ち合わせ風景
毎年夏の野外劇場の本番中に、翌年の作家と演出家と題名が発表されるのですが、その時に主催者の外波山さんと大まかな話をします。「来年の舞台の雰囲気は?客席は?」などなど。でも、再演や台本のあるもの以外は題名以外ほとんど具体的に決まっていないので、空想するだけですが、これが結構重要です。
水なのか、火なのか、野外で舞台劇なのか、大仕掛けなのか、屋台崩しはどこまでやれるのか。特殊小道具は何なのか、熊・クジラ・新幹線・お神輿・獅子なのか…
客席の形も花道の位置や客席をひな壇にするのか二階席にするのかプロデューサーと相談します。すべて仮設の劇場なので変更は可能なのです。やったことの無いことを考える時に3D CADが大活躍してくれます。
・客席から見た舞台
作家が台本を書き上げてくると具体的になってきますが、多くの場合は作家や演出家が野外劇場やテントの制約について体感できていないので、台本の初期の段階で外波山プロデューサーから「野外劇場として成立させよう!テントだからこその芝居にしよう!」として示唆(というか指示・サゼッション・ダメ出し・誘導)が入ります。
稽古の1ケ月くらい前に、どういう客席を作るか、舞台は地べたにするか、舞台を組むか、プールにするか、引き枠にするかなどがなんとなく判ってきます。予想できる問題点・資料などを集め、たたき台になる3D図面を作っておきます。そして紆余曲折の末、稽古直前に野外劇場のための台本が書きあがります。プロデューサーや演出家の今年は「どこをどう見せようか」「肝は?」「ラストシーンは?」ということが見えてきて、美術家も参加して基本方針が徐々に固まります。
3.稽古の始まりと作業場作り。〜大道具や特殊小道具を稽古場で作らなければならなかった。 様々なサイズと数量のテント資材の発注!
スペースBeのBスタジオとCスタジオを借りて稽古が始まります。出演者は30~40人です。最初の2週間は本読みと立ち稽古になりますが、スタッフはこの時がプランを練ることのできる時間です。美術家もほとんど毎日稽古場に顔を出します。この間にできるだけ演出家やプロデューサーと美術的な見せ方などの詳細について話します。いくつかの案に沿って3D図面を起こし演出家と美術家、プロデューサーに見せます。そして、美術家とどれを使い回しにして、どれを新規作成にするかの作戦を練ります。それから美術・仕掛けの詳細設計図を描いていきます。特殊小道具(人形?)の松本淳市さんはデザインを演出家と相談し、構造についてアイデアを練り特殊材料を手配します。
・稽古を作業場に改造した図面
そして2週間目の終わりから美術と特殊小道具の製作開始です。
スペースBeの稽古場で美術製作の作業をすることが許されるのは椿組だけなのですが、それには理由があります。スペースBeのオーナーが映画館だったビルを建て替えるときに「地下を何にしようか。」と外波山さんに相談したのがきっかけで、「稽古場にしてくれたら1年間全部予約を埋めて見せるから。」と約束したことからスペースBeという稽古場が始まったからです。そして実際に予約で埋まり続けました。(良かったー!)
スペースBeのAスタジオを借りてここを作業場に改造します。椿組のメンバーや客演の出演者の力を借ります。椿組に長年にわたり協力してくださった彩工社から4tトラック2台分の資材を手運びで地下1階の稽古場まで搬入します。床にブルーシートを敷き、その上に平台を敷き詰め、壁に養生ビニールを張り、間仕切りのパネルを建て、木工作業場と特殊小道具の製作場を作ります。昇降盤、スライド丸鋸、コンプレッサーとエアータッカー、ベルトサンダー、などの機械類、様々な電動工具と手道具たちを準備します。
稽古3週目からは大道具・特殊小道具を稽古場で作り始めます。製作スタッフも集まり大道具の製作を始めます。役者たちのかなでも木工作業が出来る人たちが交替で作業してくれます。
・稽古日程表
稽古場での立ち稽古に必要な小道具たちも次々と作られていきます。槍、こん棒、戸板、役者たちが舞台で使う布(浪布など)、床几、長椅子、縁台など。
大道具ができると屋台崩しの検証もこの段階でやります。とはいえ、現場は遥かに過酷な条件なので、起こるであろうトラブルを想像してできる準備や構造の変更をします。
・製作図面1
・製作図面2
製作図面3
特殊小道具たちも発泡スチロールの塊が刻まれ磨かれ布を張られ、仕掛けを内蔵されて出来上がっていきます。これはたいてい一筋縄ではいかないのですが、やり続けます。そして、プロデューサーからは「やりすぎだ!」「手間をかけすぎだ!」「金を掛けすぎだ!」と、言われます。そして残念ながら、どんなに頑張っても、テント仕込み開始までに特殊小道具が完成したことはありません。(笑)
こんなに苦労しながらも自分たちで大道具や小道具を作っているのは野外劇場だからです。大道具も小道具も特殊小道具も雨が降れば濡れます。泥だらけになります。本番に雨が降らなくても一晩中降っていたりします。そうすると借りてきたものはとても返却できる状態ではなくなります。
衣裳の阿部さんはいつも大量の衣装を作ったり提供したりしながら「椿組は“衣装の墓場”だから。」と言って笑います。これは最後に椿組で使われて衣裳の命が尽きるという意味です。二度とほかの現場では使えないのです。
稽古4週目になる前にテント資材の発注をしなければなりません。様々なサイズと数量の単管・クランプ・建枠・足場板・階段枠・などの数量を計算して発注します。10tトラック2台分です。毎年同じものを作るのなら良いのですが、毎年改良と変更・新しいグッドアイデアを取り込み、新しい大道具を作ります。いつも数量には余裕を見込んでいますが、作るものによって毎年違うので予想が外れます。足りなくなった単管クランプを仕込み中に借りに行ったのは悪夢の一つでした。そして毎年「こんなに余分な資材を頼むなんて!!」「余計な物のレンタル料はおまえのギャラから引くぞ。」と言われます。(笑)
資材の数量出しをする時にも大活躍するのがCADとその集計機能です。
・数量計算用の図面
4.花園神社に入ってから12日も続く非常に長い仕込みを全て俳優たちと力を合わせてやっていきます
劇場に必要なものは何かを考えると、受付、客席、トイレ(幸いにも花園神社に立派なのがあります)、客席の上に屋根、舞台の屋根(有ったり無かったり…屋根を付けるかどうかは毎年議論になります。)、楽屋、グリーンルーム、電源小屋、ゴミ置き場、洗濯機置き場のある水場(時々シャワールームも)、衣裳部屋、小道具置き場、大道具置き場、舞台袖のスペース、鉄材置き場、早替え場、特殊小道具の製作場(修理も!)、そしてやっと舞台セットの仕込みです。
花園神社野外劇場の仕込みとは何もない神社の境内に劇場を建てることです。
・花園神社境内の図面
・花園神社境内の写真1
・花園神社境内の写真2
毎年稽古初めに、外波山さんから俳優たちに向かって「今回の公演期間中はみんな椿組の劇団員になってください。」と言われます。実際、そういう心持ちでないと新宿花園神社での夏祭りを乗り切れないからです。
<仕込み前々日(-1日目)最終稽古と稽古場の片づけと積込>
稽古最終日です。最後の通し稽古とNoteの後にはA・B・Cスタを片付けて、B・Cスタは床養生、壁養生をして、Aスタから出来上がったパネルや各種大道具のパーツを移動します。明日からはここで吉祥寺班が幕の色塗りなどが始めます。Bスタは松本淳市さんの特殊小道具の製作の作業場とゴミ置き場になります。
テント設営に必要なものをAスタや倉庫から出してワゴン車に積込ます。明日の午後には墨出し作業が始まるのでそれらの作業に必要なものも積込みます。
工房になっていたAスタジオは完璧なクリーニングをします。小姑役担当の(女優の)カオリさんが埃を見つけてくれます(笑)。
(窓の上の桟を指でなぞり、指を見せる)
カオリ「なあに、こんなところに埃が!!」
○○「すみません。」(雑巾を持ったまま謝る)
カオリ「背が高いんだから、上のほうまでよく見てね。」
(優しい口調で諭す)
同じ稽古場で、明日からは別の劇団が稽古を始めるのですからしかたないのです(笑)。
“来た時よりも美しく!“
<仕込み前日(0日目)墨出しと鉄材・テント資材の搬入>
午後1時。
最初に神社の社務所へ椿組主催者の外波山さんが挨拶に行きます。この挨拶が終わると正式に神社の境内を使うことができます。
神社の境内にビニール紐で墨出しをしていきます。最初にセンターラインを引いてそれに合わせて客席、受付、楽屋、舞台袖などを地面に描いていきます。かなりの広さのある神社の境内ですが、目いっぱい使うので正確な墨出しをしないとはみだしてしまって最後に困るのです。(とはいえ、ちょっと道路に“はみだし”たりしますが・・・)
墨出しの方法として、初めのころは舞台での墨出しのように、平行線を使う方法を使っていました。劇場だと、プロセニアムラインを基準に、センターラインから下手に3間行って、そこから舞台奥へ6尺6寸とかでポイントを出すことが多いです。しかし、建築現場だと常に三角測量です。三角測量では基準点2か所ですべての位置が表せます。花園神社ではセンターライン上の2点を決めてそこから各点(テントの端など)をミリ単位で正確に決めます。稽古場での場ミリの位置の記録にも使えます。プロセニアムライン上にセンター振り分けで適当な距離(3mとか)で上手下手に点を決めます。この2点から各場ミリまでの距離を記録すると劇場に移った時にも稽古場と同じ場所に場ミリができます。もちろん場当たりやG.Pで変更したものも同じ方法で記録して次の劇場へ行った時も使えます。正確性と時間短縮になります。
ここでもVectorworksが大活躍で、曲線や斜めが多用されるセットの場合に図面上の場ミリ位置を同様に求めて図面上で三角測量のデータを作るとそのまま現場の舞台で場ミリができます。
・三角測量の墨出し図面
墨出しが終わったら、午後3時には単管やイントレなどの鉄骨資材の搬入です。鉄骨資材の大型トラックの数は毎年少し違いますが、2台から3台です。資材はテントを建てる邪魔にならない位置に大型トラックのクレーンで正確な位置に並べます。昔はこれらの鉄材を男手20人くらいで積み上げていましたが、クレーンのおかげで二人で荷下ろしができるようになりました。
・搬入資材置き場
新宿ゴールデン街の外波山さんのお店「バー・クラクラ」の取引先の酒屋さんから水の冷蔵庫と飲み物が大量に届きます。これらも決まった場所に積み上げてブルーシートで覆い、ロープで縛ります。この大量のビールは明日からの作業に参加した我々への大切なご褒美です。
そして夕方5時。宇都宮の倉庫から2t箱トラック4台と平トラックに積まれた様々なテント資材がやってきます。宇都宮班は椿組が借りている倉庫から今回の公演で使用する資材を選り分けて全て積み込んで来てくれます。これは残念ながらすべて人手で降ろします。宇都宮で積み込みと運転をしていた役者たち全員(15人くらい)と女優さん男優さんたちがやってきてみんなで荷下ろしをします。これらの資材も翌日からの仕込みに備えて決まった場所に集積します。
後で楽屋になる運動会テント6張りを建てて、その下の決まった場所に資材を積み上げブルーシートで覆います。そのほかの資材も降ろし終わったらブルーシートで包みロープを張って「立入禁止」の札を付けます。
仕込みの各班で軽く打ち合わせをして明日の早朝からのテント仕込みに備えます。(みんなちょっと緊張?しています)
そして、不思議にもワクワクした開放感があります。
・仕込み前のチェックリスト
<テント仕込み初日。搬入とテント仕込み>
朝8時、関係者全員と毎年来てくれるボランティアが総勢50人くらいで花園神社の本殿へ作業の安全とお客さんの大入りを祈願してお参りをします。
・安全祈願と大入り祈願
暑い夏の野外では朝の作業が一番効率が良いので早朝から夕方6時過ぎまで作業です。全体ミーティングの後は各班に分かれて一斉に作業を始めます。楽屋づくりが終わるまでは雨が降らないことを祈ります。
・仕込みチェックリスト
椿組のメンバーには仕込みのセクション担当があります。荷物の振り分け担当、楽屋作り担当、ケータリング担当、なんでも倉庫(外波小屋)作りと整理担当、水場作り担当、テントの上での高所作業担当と下場作業担当のテント班などです。それぞれに初参加の人が入ります。
テント班以外は資材のブルーシートを剥して楽屋テントを所定の位置に並べます。
9時前には平台やパネルを満載にした彩工社(椿組の30年来の協力会社さん)の大型トラック2台が到着します。平台やパネル数百枚の搬入をします。境内のそれぞれの置き場所に正確な枚数を積み上げていきます。すべて人海戦術です。パネルや平台の正確な枚数を正確な位置に置くのは二度手間を最小限に抑えたいからです。これを間違えると建て込む前に資材を動かさなくてはならず、かなり絶望的な気分になります。荷物の振り分け担当の浜野まどかさんと望月真理さんがリストを見ながらみんなに指示を出してくれます。
・仕込み資材の振り分けリスト
そんな中で、大工仕事のできる舞台スタッフが枕木と平台で床を作り快適な女子楽屋と衣裳部屋を作っていきます。1か月間ここで生活するのですから楽屋はできる限り快適にします。男子は地下足袋や安全靴なので男子楽屋は土間にします。
図面はありますが、実際の細かい作業で大活躍するのは常連スタッフの桑原さんが毎年作ってくれる楽屋の写真集です。過去数年間の楽屋の細かい事の記録が載っています。
「女子楽屋の天井物置はどう作ってたかな?」
「写真によると…」
「あーっ、去年は奥から作ってたみたい。」
などと問題解決してくれます。
吉祥寺班は午前中の資材搬入が終わると吉祥寺の稽古場に戻り、美術の色塗りや特殊小道具の製作作業をします。舞台で使う何枚もの大きな幕は稽古休みの日に作っているのですが、絵は広げて乾かしながら描くしかないのです。
特殊小道具は無間地獄のように作業が続きます。
楽屋作りと並行して電源小屋、ゴミ置き場、外波小屋と呼ばれる“なんでも倉庫”を作っていきます。作家・演出家の鄭義信さんは外波山さんのことを“黒いドラえもん”と呼んだのですが、ドラえもんの四次元ポケットみたいに一応何でも出てくるのですが、ちょっと壊れていたり泥だらけだったりするのです。(笑)
楽屋が形になってくると別棟の運動会テント3張りの下に工具置き場と小道具置き場とグリーンルーム兼スタッフルームを作ります。ケータリングには楽屋配電盤、冷蔵庫,ゴミ箱なども設置します。ここは1か月間の憩いの場になります。
・男子楽屋
・ケータリング(バー・クラクラの看板があります)
テント班20名ほどは朝8時から客席上空のテントを建て始めます。とはいえ、1年たつとどうやってテントを建てたか“うろ覚え”になっていたりします。図面は重要です。そして野外の図面は全てパウチします!! 紙の図面は雨が降り始めると“秒で崩壊”してしまいます!
作業用のローリングタワー3段x3基を組み立て、図面の読める人が材料の単管やクランプの数量を指示して墨出しした場所に正確に単管を組んで建てていきます。またテントは毎年いろいろな人が改良を提案してくれるので、それに合わせて図面も変わっています。「同じじゃないよ!よく見てね!」と、声を掛けます。
・ブース側の本テント柱組
・客席側テントの骨組み
・高所作業
・テント班のチェックリスト
野外作業の初日は大いに疲れますが、「頑張れー!終わったら冷たいビールが待ってるぞー!!」と声を掛け合います。
夜までに楽屋とグリーンルームができ、明るい電灯がつくとみんながそれぞれの席に座って外波山さんの奥さんのあさ美さんが作ってくれた50人前の晩ご飯をワイワイ食べることが出来るのです。この時のビールと賄い飯には体験した人でないと解らない“夏祭り”のうまさがあります。
<2日目。テント仕込み・客席作り>
朝8時作業開始。1分でも遅刻した人は差し入れのビール1ケースを持ってきてくれます。これは昔からの変わらないルールです。みんなからは「ごちそうさまです。」と、声がかかります。3日連続でビールを運んできた人もいます。
午後になると楽屋がだいたい出来上がり、本テントの客席部分の上にはテントシートがかかっています。
・客席仕込み図面1
いよいよ、客席を組む作業が始まります。客席のベースはレンタルのイントレ枠でその上に椿組のオリジナルの鉄製客席枠を載せて作っていきます。300人近いお客様が入るひな壇の段差は8寸(約25㎝)ありますので客席後方は高さが2mを超えます。客席全体の幅は8間、奥行きは7間あります。部材の種類が多いのと、数量がきっちり決まっているので、間違えるとばらしてやり直しになります。悪夢でした(笑)。
客席作りの作業の多くは椿組の女性たちが率先してやってくれます。部材数量の確認や客席の番号付けや仕上げはほとんど彼女たちにやってもらいます。
・客席の完成写真
客席奥には客席階段、一番奥の高いところは音響・照明ブースと関係者席です。床を高く組むのでスタッフは頭の上はすぐに天井です。良いことはブースから天井部分に照明音響のケーブルを這わすのが楽なことです。
・客席仕込み図面2
夕方までに参道近くの材料を出来るだけ使い切り、青空市(骨董市)の人たちが車を止めたりお店を広げたりできるようにします。明日の日曜日は花園神社の骨董市が立ちます。この骨董市と仕込みが重なると注意が必要です。骨董市の人たちがワゴン車を停め、商品を並べます。時には私たちが山積みにした平台や箱馬の上に商品が載ることがありますが、基本は骨董市を優先します。テキヤさんと揉めたら外波山さんが登場します(恐い!)。作業手順もそれを見越して考えます。仕込みをやっている出演者のみんなも骨董市のお客さんになります。仲良くなるのが一番です(笑)。
夕方6時過ぎに片付けをして作業終了。あさ美さんの料理と冷たいビールで乾杯です。明日は最後の搬入と全員集合です。
<3日目。花園神社の骨董市と吉祥寺からの搬出・搬入とテント仕込み>
集合時間を9時にするとみんな喜んでくれます。この1時間の違いは気持ち的には大きいですが、現実的にはラッシュアワーに巻き込まれてかえって苦しいです。
そして今日は花園神社の青空市です。場所取りで骨董市をまとめているテキヤさんと揉めないように気を付けないといけません!過去何度も外波山さんがテキヤさんと話を付ける場面がありました。
近年、椿組の外波山さんは花園神社氏子総代を務めています(笑)。地域とのかかわりは野外劇をやるにはとても大切です。
・3日めのチェックリスト
5日前に吉祥寺の稽古場は作業モード全開になりました。セットに色を塗り、特殊小道具の可動部分の仕上げをし、間口いっぱいの幕を縫ったり、全員分の衣装を作ったりしていました。いよいよそれらの荷出しです。もちろんまだ作業は終わっていませんが、ようやく作り上げた美術セット・衣装・特殊小道具を2tの箱トラック2台でピストン輸送して花園神社へ運びます。2台x3往復くらいでほぼ運び終わります。
荷出しが終わると工房になっていたB・Cスタジオは完璧なクリーニングをします。翌日から稽古を始める劇団の人たちは稽古場が実は作業場として使われていたことは知りません。秘密です!!稽古場を作業場として使う事が許されるのも外波山さんだけなのです。
20年以上前は椿組の物づくりの作業は、彩工社という外波山さんの友達が社長をしている展示会社(展示会の製作・設営・撤去などをする)の工場の隅を借りてやっていました。工作機械も充実して材料もあるので良かったのですが、作業をする人の稽古場との往復時間がものすごくありました。ところがある時、スペースBeのオーナーさんから「Aスタが空いてるから使う?」と言われて、美術と特殊小道具の製作作業をしてみたら稽古場からのアクセスが早く作った物はすぐ稽古で使われ、打ち合わせも変更も作業のシフトもすごく合理的でした。プロデューサーも大納得で翌年からは稽古の後半はAスタを借りて作業場にすることが定着しました。これは我々には大きな転換点でした。
・女子楽屋
花園神社では吉祥寺の積み込みと片付けで人数が大幅に減りますが変わらずテント仕込みが続きます。オペブースの雨養生や、客席の特殊小道具の作業場作り、舞台上空の照明バトンや仕掛け用のバトンを設置しテントシートの編み込みをします。
・本テント全体
そして吉祥寺からトラックが到着するたびに荷下ろしです。そして荷物の仕分けと整理が続きます。最終便が到着する頃には吉祥寺のメンバーたちも全員やってきます。
・水場のメモ
ここ数年は女子楽屋横の洗い物や、洗濯気置き場などの水場づくりにシンペイさんという助っ人が来てくれます。ふらりと現れる旅人で音楽の人のようです。彼に説明のメモを渡すと必ずプラスアルファの改良をしてくれます。舞台の大道具や美術は出来る人もいるのですが、上下水道周りの仮設工事をテントで実際に使う人の要望に合わせて作ってくれる人はほとんどいません。“ちょー助かっています。”シンペイさんの作る洗い場は毎年改良されてゆきます。ありがとうございます!!
佐藤昭子さんは俳優たちから絶大な信頼を置かれる小道具担当の演出部スタッフです。彼女は黒テントなどで舞台監督もやっています。小道具置き場は彼女が完璧に仕上げてくれます。舞台監督も良く彼女に怒られます(謝)。
・小道具置き場
6時過ぎに片付けをして作業終了。吉祥寺班も合流して全員が揃ったところで、あさ美さんの賄いと冷たいビールで乾杯です。やはり、全員揃うとウキウキしてきます。全ての資材がそろい全員が集まり明日から美術仕込みが始まります。
すべての製作物、小道具、衣装、私物が揃った今夜から男性3人の体制での宿直当番が始まります。最初に宿直当番は外波山さんから支給の銭湯券を持って近くの銭湯に行きます。その後は、真夜中でも人通りの絶えない新宿なので、客席や楽屋など3か所に分かれて警備をしながら寝ます。翌朝の早番は女性たちがやってくれます。早番は花園神社の参道とテント周りの掃除をしたり、ゴミの片づけをしたり、洗い物をしたり、ケータリング用の“冷たーい麦茶”を作ったりしてくれます。そして作業は続きます。
今夜も小道具班・衣裳班は客席上手に作業場を作り終電まで働いています。ガンバレ!!
<4日目。美術仕込み1日目>
朝の集合時間は9時です。各班に分かれ軽くミーティング。
ようやく小道具と衣装が届いたので楽屋作りや衣裳部屋・早替え場・小道具置き場づくりが始まります。普通の劇場の仕込みなら最初の30分くらいの作業が終わった感じです(笑)。
特殊小道具班(人形作り班?)と衣装班は客席奥のブースの近くの客席を占領し朝一から作業を始めています。
・舞台の照明タワー
テント班は舞台奥の照明タワー(イントレ4段組)を2~3基建てて、単管パイプでそれらをすべて本テントまで連結して自立させます。このタワーの上には屋根付きの照明パイプを設置し、奥から舞台を照らす照明が吊りこまれます。
参道の向こう側に幅3間x奥行4間x高さ2間くらいの製作場兼倉庫を作ります。ここは照明機材の箱や、余った箱馬・平台の置き場になり、ほとんどの空間は特殊小道具班の作業場になります。雨ざらしになってしまう特殊小道具には必ず修理が必要です。屋台崩しに使う大道具の修繕も必要になります。今客席で作業している特殊小道具班は照明仕込みが始まったころに大移動します。
・小道具部屋の中の足場に載り縫物をする池田由衣さん
そして、単管パイプで作る大きなものが終わったら最後の大仕事です。舞台空間を空けるために予備の単管パイプや鉄材の何トン分かをイントレ2段x4連の鉄材置き場にすべて収納しなければなりません。もちろん手運びですが、これが一番きついです。男たちは「がんばれ自分!」と声を掛けながら、単管0.5m、1m、1.5m、6m、自在クランプ、直交クランプ、鉄枠、木材、ベニヤと仕分けしながら収納していきます。
・資材の積み上げ
舞台の空間が空いたら、演出部はセットの飾り位置の場ミリをします。野外では劇場と違って場ミリにテープは使えないので長い釘かビスとパンチカーペットの切れ端かビニールひもを使います。最初だけはカラフルですが、あっという間に泥だらけになり目立たなくなります(笑)。
・舞台側の墨出し図面
テント班は分かれて舞台美術の仕込みをやる班と、袖周りをやる班と地面を掘り返す班とテントの仕上げをする班になります。
演出部の精鋭は朝からかかりきりで空中戦をやっています。テントの舞台上の空間を自由に使えるのが今しかないからです。滑車を仕込んだり、引き栓を仕込んだり、仕掛けのロープの引き回しをしたりです。良きところに仕掛けの綱元を作って実験も出来たらやりたいのです。
・回転式の雪かご
この回転式の雪かごは演出部の岡野浩之くんが稽古場の作業場で改良を重ねながら作り込んでくれました。テントの天井裏は三角形なので端には空間がありません。左右に揺れる雪かごの下部は客席から見切れます。雪布は伸びたときに照明を隠すことがあるのです。仕掛けとしては手間がかかり複雑になるのですがこの方式にしました。小劇場でも雪が降るまでお客線に気付かれることはありません。
美術班は参道向こうにブルーシートを広げてその上で色塗りや、汚しをしています。稽古場で作ってきた空枠に岩布を貼り岩山を表現しますが、布には要らなくなってテントシートを使います。硬くてゴワゴワしていて質感を出しやすいのです。これらに岩色を塗っていきます。
・岩パネル
美術班ではない人たちで客席テントの周りの雨養生、受付屋根のパイプ組と受付づくり、物販の台、客席下の目隠し、花道の飾り付け、などなど。きりがないほどの細々した作業があります。
夜7時には仕込み作業は終了しますが、いつも通り特殊小道具と衣裳班は終電近くまで頑張ります。
<5日目・美術仕込み2日目>
朝9時から前日の作業の続きです。舞台美術家は出入り口になる袖の位置や、外の明かりが入ってくる見切れのことをあれこれ考えています。
真夏のテントの空間は暑いので風が入らないと地獄になります。そこで塞げるところは塞ぎますが、葦簀(よしず)やすだれを多用します。紗幕のように後ろが明るくなければ目隠し効果があり、風も抜けます。そして何より本番は夜ですので真昼の太陽光はないです。明治通りにめちゃくちゃ光って目立つサイン看板を積んだトラックがとてもゆっくり走ったりはしますが(怒!)。
袖幕代わりに葦簀を吊り、可動式の岩の空枠パネルを建て込み、キャスターを付けます。そしてその空枠に美術家の指示通りに岩布を立体的になるように止付けていきます。全体のバランスとディテールを秤にかけ、知恵を絞って立ち向かいます。美術家の加藤ちかさんはほとんど椿組の座付き舞台美術家です。椿組では彼女は劇団員のように美術セットをみんなと一緒に作ります。彼女のイメージするものを実現してあげたいのですが、テントという制約と作る側の技術的・人的制約があり、なかなか難しく苦労します。もちろんいつも通り予算的にもです(笑)。
フライングのタワーには倒れ止めのワイヤーを張り参道向こうの地面に固定します。うっかり引っかかる人がいないようにワイヤーを高いところに渡します。ターンパックルなどを使わず一度建枠(高さ1.7m)の上を回して張ります。緩めにワイヤーを張った後に建枠のジャッキベースを上げると必要な引っ張り力になります。張りすぎないように気を付けなければいけません。
・かなかぬち外波山流太吊りタワー
<6日目。美術仕込み3日目 午後から音響機材搬入と仕込み。夜には音出し。>
朝9時から美術の作業が始まります。
外波山さんは「自分の出ハケは自分で作るんだ!」と言います。実際、出演者たちは自分の小道具置き場や早替え場所の整備などをやってくれます。雨にもぬれず、誰の邪魔にもならないところを探しシンプルで効果的にやります。外波山さんの選んだ役者の多くは劇場でのスタッフワークも出来るので野外でも見事にやってくれます。彼らから出た素晴らしいアイデアは記録して翌年以降も大切に使われ続けています。
・椿組の受付の図面
受付の屋根はもともと決まった物は無く、適当に余ったテントシートで雨除けしながら
やっていました。あるとき伊藤新さんが余っていた一番大きなシートを使って、開放的な大きな受付を作ってくれました。これは大好評で早速取り入れることにしました。少しお金はかかりましたが、外波山プロデューサーにテントシートのお金を出してもらって、雨漏りのしない広い受付を作りました。ついでに伊藤新さんも飾っていた提灯で楽しさも出します。夕方の神社の提灯はとてもきれいです。
そして下元史郎さんは外波山さんに次ぐ最高齢ですが、「ここは俺が作るんだ!!」という気概で受付を作る事に毎年全力を傾けます(感謝!)。下元さんは受付を作り終わると1日お休みになります。ありがとうございます。
受付のすぐ前にある燈篭(とうろう)を囲う養生パネルは絶対に必要です。実際何度か助かりました。気を付けて作業していても、長いパイプの反対端が触れたりします。この燈篭は上の飾りが組小細工の木製でパイプが触れればひとたまりもありません。神社の人たちもこちらが気を使っていることを見せると安心してくれます。
・受付全景の写真
そしてアクシデントも続きます「プールに水がたまらない」、「床が滑って役者が立てない」「天井のレールが撓(たわ)む」「人吊りの滑車が絡んだ」「引き枠が泥にはまって動かない」などなど。凸凹の地面の上にスライドして割れる舞台の床(スライドステージ)を作ったり、プールを作ったり、崩れる太鼓橋を作ったり、毎年違う苦労をして劇場では使えない技術を編み出し続けるのです(笑)。
午後からは音響機材が到着してプランの佐久間さんとみんなで搬入。そして仕込みです。稽古場で図面を見ながらスピーカーの位置を決めるのですが、いつも問題があります。「テントシートのつなぎ目から雨が漏るかもしれない。」「そこは照明用のパイプだから、別のパイプを取り付ける。」「スピーカーが照明のカゲになる!」「特殊小道具の人形用のワイヤーに絡む!!」などなど。音響班にはテント設営班もいるので出来る限り対応します。
長年椿組の音響をしてくださっていた青蔭佳代さんの頃から、常にテントの外のスピーカーの雨養生は出来る限り完璧を目指します。とはいえ、本番になると外されるのですが・・・。 夜にはスピーカーチェックで音を出します。花園神社のある新宿の繁華街は深夜まで営業の続く店があり、住宅街ではないので騒音規制は緩いのですが、それでも音出しは夜10時までにしています!これは外波山さんからのお達しです(笑)。
夜になると倉庫で明日使う機材の積み込みを終えた照明の野中さんが現場にやって来て確認です。電源回りの確認、卓周りの確認、フォロースポットの位置と雨養生の確認、バトンと作業足場、照明のタワーなどなど。当然ながら調整が入ります。
「シュートの方向が前だから照明バトンの位置を10㎝ほど舞台奥へ、」
「作業用の足場板の位置を吊り上げた照明機材が通り抜けるのように5㎝ほど客席側へ移動して欲しいけど、離れすぎると怖いから!」とかとか。
<7日目。照明搬入と仕込み・美術仕込み4日目・夜はシュート>
照明班は朝8時集合。トラックに積まれた照明機材を客席下手に搬入し終えると、照明班は仕込みの打ち合わせをして作業開始。テント班は照明用にバトン位置や足場の位置をずらします。幕用のワイヤーや袖の位置も変更しないといけないかも・・・。ときにはスピーカーも・・・テントの屋根裏は狭いのです。
・照明仕込図 舞台側
特殊小道具班は参道向こうの作業場に移動します。彼らはバラシの日までそこで作業を続けることになります。「がんばれー!!」
・照明仕込図 客席側
照明さんが入ってやっと普通の劇場仕込みの午前中のような感じになります(笑)が、照明さんがシュートできるのは夕方以降です。昼間の直射日光の下ではシュートはできないのです。
朝から作業は続きますが俳優さんたちは少しずつモードが切り替わってゆきます。最後の稽古から1週間以上も稽古をしていませんが、自分の作った場所で自分の出ハケや待機場所、客席からの見え方などを心の中でリハーサルしているようです。
夕方暗くなり照明さんのシュートの時間になると、みんなはゆっくり夕食を食べたり、ビールを飲んだりして待っていてくれます。時々シュートの目標になるためにそれぞれの立ち位置に立ってくれます。「スタッフがやるから帰ってもいいよ。」と言っているのですが...ありがたいです。
シュートも全部は終わりませんが、夜10時には終了です。いよいよ明日の夜からは明かり作りです。
<8日目 昼間はテクニカルリハーサル 夕方から明かり作り>
昼間は各種舞台の仕掛けのリハーサルです。人吊り仕掛け、雪降らし、雨降らし(本水)、噴水(本水)、プールの水ためと漏れのチェック、松明(本火)、燈明(本火)、土の上での引き枠、屋台崩しのテクニカルリハーサルをして夕方までに復旧して照明シュートができるようにします。やらなければいけない事は演目によって全く違いますし、必ず問題点が現れるのでそれを一つずつ潰していきます。
暗くなってからは昨日できなかった照明のシュートの続きをします。それが終わるとセットを飾って各場の基本の明かり作りを始めます。
演出家も現れて明かり作りを見ています。場当たりではないのですが、野外の雰囲気や、音、明かり、騒音、などを確認しています。
<9日目~11日目 昼間は舞台稽古が始まります。夜は明かり作り。>
朝10時集合。いよいよ舞台での稽古が始まります。劇場でやるような出演者のバックステージツアーは必要ありません。みんな舞台裏の事がよく解っています(笑)。
演出家、振付家、殺陣師などが集まり場当たりを開始します。始まる前には地面の石ころをみんなで拾います。殺陣でも、踊りでも、芝居でも出来るだけ安全な地面が必要です。
芝居の場当たりをします。稽古場とは全く違う環境です。明治通りや雨や風、木々のざわめきの力に負けないように!テントの仕込みをやってきた俳優たちはそんなことは全く恐れたりしなくなっています(笑)。
昼間なので照明はありませんが、ハケてから次の出までの時間や、小道具や衣裳の早替え場所と早替え時間などを確認します。
踊りや殺陣の場当たりと稽古もやります。稽古場の想定とはかなり違うこともしばしばです。次の転換で出てくるものが袖を塞ぎ、通り抜けられず、踊りのハケの位置を変えたり。殺陣で倒れる役者を見えないところで受け止めることになっていた人が実際にはできないことが判り別の人に交代したりします。特殊小道具の巨大な獅子のコースや動きが変更になる。などなど。これらを3日間で終わらせます。
3日間というのは長くて余裕があるような気がしますが、夏の炎天下では照明は明かり作りも修正もできませんので、明かりつくりができるのは夕方7時~11時の1日4時間くらいしかありません。夏の野外の場当たりはまめな水分補給と休憩が必須です。しかも、天候不順になると余裕など全く無くなります。例年、この時期はまだ梅雨は明けていません。
<12日目 ゲネプロ・舞台稽古の日です。雨でもやります!やりました!>
ゲネプロ(舞台稽古)の日です。本番通りにやります。雨が降ってもやりました。出来ればキャストは午後入りにしたいですが、そうもいかないのです。
午後1時から保健所検査と消防検査があります。客席の配置、通路の間隔、非常灯と非常ベル避難誘導計画の確認です。避難誘導のリハーサルは俳優たちが良く通る大きな声で見事にやってくれて、いつも消防署の人に褒めてもらえます(笑)。
ゲネプロ前は、ラジオ体操、昨日のNoteをして芝居の稽古、踊りの稽古、殺陣の稽古をします。すべては5時前に終わらせて準備に入ります。
時間は日の入りの時間もあるので、ゲネプロも本番と同じ時間です。客入れを役者たちがやるので客入れのリハーサルも兼ねています。ヘア・メイクも本番通りの順番で済ませていきます。なぜか客入れに凄いメイクと衣裳の案内係がいますが、これも野外劇のだいご味なのでしょう。お客さんは喜んでくれます。
問題なければ本番通りの時間に空が暗くなりながらゲネプロが始まります。途中の休憩もリアルタイムでやります。トイレの確認、着席の確認もです。終演して、やっと一息つきます。
「俳優さんたちご苦労様でした。」
ゲネプロの後のキャストへのNoteはたいてい翌日になりますが、照明がらみは夜の間にやります。明るくなると絶対に直せないのです!!
この日の宿直は舞台スタッフです。出演者には自宅で少しくつろいで初日を迎えてほしいという気持ちです。ほんの少しですが…
そしてこの頃には梅雨が明けてほしいと本当に願います。
<13日目 初日です。>
夜が明けると早番の女優さんたちがやってきて花園神社の参道とテント周りの掃除をしてくれます。宿直組は早朝に一旦家に帰る人もいます。
午後1時全員集合。本番状態の客席を作り、掃除をします。
ラジオ体操をしたら、昨日のNoteをして、踊りと殺陣の稽古をします。
5時から客入れ準備です。受付周りを整えて、参道を掃除して、整理番号順に並んでもらうための立札を立て、お客さんを迎えるために客席を整えます。客席番号の書かれた座布団の上に当日パンフレットを配り、客を迎える中央通路には団扇を用意します。冷たいビールも販売用と毎日打ち上げ用に数百本冷やします。
6時30分。待ちに待った初日の客入れです。どんな天気でもお客さんは来てくれます。暑くても団扇とビールを持って見てくれます。ありがたいです!
7時5分前。受付と確認して鳥越勇作にCueを出すと前口上が始まります。客席を温めつつトイレの説明、避難誘導の説明、拍手の練習までして盛り上げてくれます。そして開演です。
約2時間の本番は休憩15分を挟んで体感時間では「あっ」という間に終わります。
座長の外波山文明の挨拶と次回公演の宣伝の後、客席が宴会場になること告げると椿組恒例のお客さんとの「毎日打ち上げ」が始まります。
舞台上を片付けて大きなテーブルを作り、ここにビールと料理を並べていきます。ここからは料理もビールも無料です(笑)。
お客さんたちに手伝ってもらって座布団を片付け、冷たいビールが行き渡ったところで、座長の音頭でお客さんと「乾杯!」です。出演者たちもメイクを落として着替え、客席のお客さんといろいろな話をします。「ザ・夏祭り」です。劇場公演ならお客さんと話したりするのは近くの居酒屋とかに行くことになるのですが、居酒屋では入りきらない百人以上のお客とキャスト・スタッフたちが客席上でワイワイガヤガヤ話すのが「毎日打ち上げ」の醍醐味です。存分に笑って飲んでください。
宴会準備をしているメンバー以外はセットの片づけ、修理箇所の発見、不具合個所の特定等々をしています。スタッフは作業が終わるとグリーンルームに集まって今日の本番の反省点と改善点の洗い出しをします。明日の作業の見積もりと集合時間を決めて乾杯です。本当においしい格別のビールです。
そうこうしていると客席から「宴もたけなわですが、今日の皆様が飲みになっているビールも、おいしいおつまみも、すべて去年の千穐楽のお客様からのカンパでできております。」との掛け声とともに椿組恒例のカンパ隊が客席を回ってカンパを集めます。お客さんはすっかり気前良くなっていてたくさんのカンパをくださいます。毎年ありがとうございました!「万歳!万歳!万歳!」
椿組の仕込み日程がこんなに長くなった理由と休演日について
こんな椿組の長い仕込み期間ですが初期のころは半分くらいでした。出演者や上演日数が増え、美術が大仕掛けになってゆき、もっと合理的にしたい、スタッフのプラン・リハーサル・出演者のコンディションを最大限にした上演にしたいと考えるとこの長さになりました。実は、神社の境内を借りるお金や稽古期間がさらに伸びるという問題もありますが、“入念な仕込みができるための時間を作るのだと考えるとこのほうが良い!”というのが、自分も仕込みから本番の出演までこなすプロデューサーの結論でした。
外波山さんは昔から、終わってからおいしいビールを飲む時間もないような働きかたはしてはいけないという人でした。「働きかた改革」は終わっていたのかもしれません。
休演日も作りました。休演日は「できれば初日が開いてから出来るだけ早めに入れたいなぁ」と思いますが日程調整が難しかったのです。大阪の某劇団は2日目が休演日だというのはものすごくうなずけます。初日まで集中して走り抜けたら、休憩が必要でした。そうしないと“2日目落ち”あるいは“3日目落ち”になります。
“2日目落ち”というのは演劇の関係者の用語で、出演者の絶妙なアンサンブルが少し狂ってしまうことを言います。毎日見ているスタッフ演じているキャストには明確に判るのですが、私の考えでは最大の原因は疲労だと思います。この気づきは頑張っている劇団の演出家とプロディーサーに共有してもらいたいです。商業演劇の人たちはとっくの昔に気付いていたような気がします。
5.椿組の過去の5つの舞台を取り上げてみたいと思います。
1.本火が燃える土の舞台で人を吊り上げる「かなかぬち」
2.野外でしかできない屋台崩し(壊し)「椿説・丹下左膳」
3.テントで室内劇「贋作・幕末太陽伝」
4.江戸の芝居小屋「四谷怪談」
5.舞台をスライドする20世紀少年少女唱歌集
<1.本火が燃える土の舞台で人を吊り上げる「かなかぬち」>
〜ちちのみの父はいまさず〜 神獣白獅子が現れる
脚本:中上健次
この作品は椿組の原点ともいえる野外劇です。本来は広大な原っぱらでやる山賊の物語です。86年には熊野本宮大社の跡地、横浜本牧の造成地などでやりました。最初の熊野では地元の森林組合の人たちが山から材木を運び出す方法でやってくれました。山から山に直径10mmのワイヤーを親綱として渡しそれに滑車を付けて外波山さんを飛ばしました。夜の闇の中では親綱は見えず、観客の頭上を火を吹いて舞い上がり消えてゆく姿は素晴らしい効果だったそうです。でも、それをほかの場所・条件で再現するのは…
東京新宿歌舞伎町のど真ん中の花園神社でやるのは正直大変です。無謀と言いたい。2013年の時は人力クレーンを作って俳優の山本享さんをテントの天井より高く垂直に吊り上げようと考えました。これなら観客の視線からは去ることができます。
しかし、殺陣師の栗原さんから
「垂直上がるだけだとなぁ...」
「飛んでいかないと面白くないなぁ。」と言われたのです。
「確かにそうだけど...でも。でも、どうすれば............」
難問ですが、こういう言葉がものすごく大切なのです。栗原さんに感謝しています。図のような仕掛けでやることにしました。
・2013年の人力の人吊り上げタワー
イントレのタワー2基で上空の台車用のレール2本を支え、吊り上げ滑車を仕込んだ台車を横移動させたのです。それなりに複雑な仕掛けです。観客からはこの大掛かりな人力クレーンは全く見えませんが、舞台の仕掛けというものはそういうものです。
演出部一のマッチョの岸川さんと男性出演者で垂直方向への持ち上げロープ引き上げます。理論上は3分の1の力で上がることにはなってはいますが、ワイヤーが何度も曲がっているのでそんなに軽くはなりません。かなかぬち役の山本享さんを2mほど垂直に持ち上げ、最後の決め台詞を言った後にゆっくりと明治通りの方向へ斜めに飛ばします。横移動はイントレ最上段にいる演出部の野口さんがロープを引きます。理論上は力はほとんど要りませんがもちろん理論通りではありません。そして山本晃さんがイントレ最上段の踊り場までたどり着いたところで、野口さんが隠し用の黒カーテンを引いて享さんを隠してから、地上の岸川さんにロープを緩めるように合図を送りハーネスを解除します。
外波山さんには「大型の滑車やロープの金属部品の発注代金として20万円ほどかかるけどいい?」「うん。解った。」と言われて実現しました。
この年は新宿花園神社の公演の2週間後、長野県の南木曽町の桃介橋のたもとの河川敷(桃介橋河川公園)で完全な野外劇としてやりました。南木曽町は外波山さんの故郷です。町の主催行事としてやらせてもらうことができました。南木曽町の皆さんありがとうございます。この河川公園は普段は町営のミニゴルフ場として使われていて、芝生がきれいな広場です。
・木曽川の河川敷の俯瞰図
・南木曽会場説明図
ここに椿組の鉄製客席をハの字に組んで400席余りのひな壇客席を作りました。客席の奥にはイントレでやぐらを組み、その上に運動会テントを建てて音響・照明・フォロースポットのオペレーションブースを作りました。何もかも詰め込んだオペの心臓部ですがかなり狭いです。残念ながら客席の上にはテントはありません。楽屋や小道具衣装の場所は客席上手に運動会テント8張りを2列に建てて使いました。
・南木曾の会場の説明写真
人吊りは南木曽クレーンさんの協力でラフテレーン・クレーンという自走式では日本最大級のクレーンで腕が40mも伸びるものを使わせてもらいました。オペレーターは南木曽クレーンの社長さんがやってくれました。
本番当日の夕方。長野県南木曾町の人たちがみんな集まってくれて客席が埋まり、上演前の期待が盛り上がり前口上が終わるころにはあたりはすっかり暗くなっています。長野の山間は日が落ちるのが早いのです。すると遠くから雄叫びと松明(たいまつ)の明かりが揺れて近づいてきます。商隊を襲った山賊たちが戦利品を担いで松明を持って走ってきます。走っても走ってもなかなかお客さんのいるところまでたどり着きません。100m以上向こうからくるのでお客さんの前にたどり着いた時には全員ぜぇぜぇと荒い息で汗だくで最初の台詞が飛び出します。これでお客さんの掴みはばっちりです(笑)。
篝火(かがりび)、木曽川を吹き抜ける風、火の粉と煙が舞い上がる中で闇に覆われた山々、そこで山賊の頭「かなかぬち」の物語です。シチュエーションはバッチリです。
シーンの変わり目には舞台奥で5mを超える炎の柱が何本も立ち上がります。これは一斗缶の横に空気穴をあけ、中に火種を作ります。柄の長い柄杓(ひしゃく)を小割と空き缶で作ります。これを使ってキッカケの少し前に一斗缶の火種の上にガソリンをかけます。数秒後に爆発的な火柱が立ちます。最初は怖いですが、扱いに慣れるとこれがすごく快感です。スタッフはやりすぎないように言われているのですが、中洲の森の木がシルエットになって浮かび上がるような炎の柱が立っていました。
本番中に雨が降り出した日でも、お客さんは誰一人傘をささずに濡れながら見てくれました。出演者もスタッフも濡れないようにしていたので「本当に申し訳ないなぁ。ありがとうございます。ありがとうございます。」と思っておりました。
物語の終わりに“かなかぬち”の山本享さんが宙に舞いあがり客席を見下ろしながら
「来るなら来い、愚かな者らめ。」
「天空への道は」
「光が光りすぎる」
「闇じゃ!」
と、最後の台詞を放つと木曽川最大のつり橋「桃介橋」に照明が当たり、クレーンがゆっくりと旋回して山本享さんを100m先まで飛ばしてくれます。これぞ「野外劇」という感じです。
・南木曽でのフライングの写真
物語の最後はかなかぬちの息子(外波山流太)が変身して炎をまとって去って行くのですが、役者が燃えながら走る時の打掛(うちかけ)の衣装はグラスファイバー製(耐火性)で、これにベンジンをかけて火をつけて走ります。ベンジンは揮発性が強く素早く燃え上がりますが短時間で燃え尽きます。つまり舞台効果としてはちょうどよい時間くらい燃えてくれるのです。
このグラスファイバー製の打掛は衣装の阿部さんが縫ってくれたのですが、正直大変です。炎で燃えるので、普通の糸は使えないので針金で縫います。さらにグラスファイバーはチクチク痛いのです。江戸っ子の阿部さんは「他の子にはやらせらんない。」と言って自分で縫っていました。衣装をアトリエに持って帰るのも危険なので、テントの作業場で何日もかけて黙々と縫ってくれました。よく喋る陽気な阿部さんを知っている人には信じられない光景だと思います。感謝です!!ありがとう!
炎に包まれたかなかぬちの息子が走った後ろには地面に炎の道(ファイヤ・ロード)を作ります。二人のスタッフがそれぞれ一升瓶に入れたガソリンを走り去る道に沿って撒きながら走ります。別のスタッフがそのガソリンに着火して炎の道ができます。走るスタッフが気を付けるのは地面に撒いたガソリンがつながっていないと炎の道が途中で途切れてしまうことです。ガソリンに炎が燃え移る力は思いのほか弱いので、ガソリンを撒くスタッフは追いかけてくる炎との距離を保ちながら延焼が止まると戻ってガソリンをかけ直しなら走ります。炎が途切れては道にならないのです。
これらの火を扱うのはなかなか大変な技術(速度・安全・消火・冷静さ・観察力)が要るのですが、これらは全く劇場では必要のない技術です。(大笑)
南木曽町の会場はミニゴルフの会場でしたので、この野外劇の上演で車の轍(わだち)が出来たり、芝生が焦げたりしてしまいました。プロデューサーの外波山さんは修理費用として十五万円ほどを町に払いました。
2024年の椿組最後の花園神社での公演の時には下手にユニック車(クレーン付きのトラック)を少し道にはみだして停めて油圧クレーンを使いました。(南木曽の縮小版)また上手にイントレタワーを建て人力のクレーンも使いました。(前回の新宿の縮小版)過去にやったことの集大成ですかね??(笑)
・油圧クレーンと人力クレーンの共同作業
上手側の人力クレーンを動かす時にはどうしても一般の人が通行する参道を横切ってロープを引かなければなりません。制作の人と手すきの人を総動員して、通行人に謝り倒して
「すみません。すみません。ちょっとお待ちください。」
「ご協力ありがとうございます。今こういう野外劇をやっています。」(チラシ配布)
立ち止まってもらっている間に吊り上げます。
花園神社の参拝者の皆様、いつもご協力ありがとうございます!!(感謝)
“かなかぬち”の山賊の住処(すみか)は峠で、通りかかる人々から情報を集め、気ままに金品を巻き上げています。今回はこの峠の設定を岩山で表現することになりました。しかし最後のシーンのためには岩山が動かなければなりません。劇場の舞台ではキャスター付きの引き枠を作り岩山などをその上に飾って動かすのですが、野外なので建枠(イントレのような物)を使いました。建枠の良いところは何といっても頑丈なことです。そして、建設現場で使うものなので地面のかなりの凸凹やぬかるみに耐えてくれますし、ジャッキで微調整もできます。またレンタルなので終わったら返却できます。
特殊小道具班が作った神獣白獅子について語りたいと思います。この白獅子は“かなかぬち”の作品の要所要所に現れ登場人物たちと絡むことはなく静かに舞台を横切ります。見ている人に神秘的で厳(おごそ)かな印象を与えます。
初演でこの獅子を作ってくれたのは中里エロスさんという方で、現代彫刻の作家です。外波山さんとシルクロードの旅に出かけ英語の通訳もやられたようです。獅子舞の獅子のようなシンプルな構造で胴体は布ですがその上に白くて長いビニールひもをほぐしたもの(運動会でチアガールが持っているボンボン)をたくさんつけて毛皮を表現していました。光が当たると白く輝き幻想的な場面によく合っていました。時に不思議な動きをする尻尾もチャームポイントでした。
2024年の獅子は初めて俳優たちとのかかわりのあるシーンを演出の青木豪さんが追加してくれました。
見ていたお客さんから「白い獅子の瞳が動いていた。どういうしかけなの?」と言われましたが、実は動いていません。これは瞳の色塗りをした人形町の絵付師の池田由衣さんが塗ってくれたのですが、光の方向で濃く見える瞳のような部分が出来るような塗り方をしていたのです。近くで見るとほぼ均一に塗られていますが、班れてとこらから見ると獅子の頭の動きに合わせて瞳が動いているように見えるのです!
・白い獅子の頭。瞳の色塗り前。
・白い獅子の頭の仕掛け
獅子は2人で使います。前足と頭の操作(操演:そうえん)をする人と後ろ足の操作をする人です。今回の1回目と2回目は前足と頭の操作を野口さん、後ろ足は桑原さんのスタッフチーム。3回目の殺陣の動きがある操作は十河さん瀬戸さんの役者さんチームでした。
人形の操作をする人は人形の形に拡大された自分を俯瞰で見ることができる感覚(第3の目?)が必要です。今回の前足使いさんは二人とも自分を俯瞰したみる感覚がある人で、後ろ足さんは委ねることが出来る人でした。この獅子を創った松本淳市さんに「息を合わるポイントは?」と訊くと「息合わせのポイントは相性です(笑)。あとは後脚の人は前脚にひたすら委(ゆだ)ね、自己主張しないことですかね。そうすると、動きがつながりなめらかになります。」と答えてくれました。
・下手から上手へ移動中の白獅子の写真
・下手から上手へ移動中の白獅子の動画
今回は出番の関係で人形操作に関われませんでしたが、俳優の鈴木幸二さんは2017年の「ドドンコ、ドドンコ、鬼が来た!」で火山の溶岩流の表現を長さ10mの龍でやったのですが、見事にその頭(かしら)の操作をやってくれました。人形劇をやっている人は良く分かっていることですが、同じ人形でも操作する人によって大きく印象が変わります。俳優さんの中にもその印象を自在に作ることが出来る人がいます。みんなありがとう!
・「ドドンコ、ドドンコ、鬼が来た」の龍の頭を使う俳優の鈴木幸二さん
龍も、熊も、クジラも、口パクの操り人形も、お神輿も、この白獅子も作った松本淳市さんは変わった人です。女形で俳優もやっていましたし、大工仕事もプロでできます。そして特殊小道具も椿組では作っています。他ではほとんど作っていないようです。そういえば「2024アイドル映画と個性は映画の映画祭」で短編映画「蚊娘(Mosquito Girl)」の監督として賞も取ったようです。
そんな彼は椿組の公演に毎回、舞台監督助手として本番についてくれます。本番付をしてくれるので修理も心配してません(笑)。
この白獅子はインド象くらいの大きさがありますので登退場口は限られてしまいます。
どうしても動く岩山に出入り口を作らなければなりませんでした。図面のような外向きの跳ね上げ式扉を作ったのですが、問題はドアヒンジです。普通の丁番ではもたないし、移動するときに無理がかかれば壊れてしまします。
・獅子の扉の単管ドアヒンジ。滑り止めに単クランプが付きます。
・獅子の扉を開ける実験の動画
ここで登場するのは単管パイプを使ったヒンジです。改造や調整が簡単で、天候にも強く、大きい扉でも大丈夫です。お金もかかりません(笑)。実際、岩の飾りのついたドアの厚さがかなりありその問題をクリアするために現場でヒンジの腕を伸ばしました。かなり乱暴に見えるのですが、有効です。バックステージツアーをしてあげた東宝舞台の営業さんはこれを気に入ってくれました(笑)。
・岩パネルの裏側
<2.野外でしかできない屋台崩し(壊し)「椿説・丹下左膳」>
脚本:菊池豊 構成演出:西沢栄治 美術:加藤ちか
参考資料:稽古場での実験風景(動画)・花園での動画・太鼓橋の図面・参考にした資料・他
地面が土の舞台の場合には客席から舞台前がよく見えません。見切れのラインがどのくらいになるかを図面上で検証して、見やすくなるように客席の段差を変えたりします。
出演者が走り抜ける江戸時代の大河端の太鼓橋。これが1幕終わりで一瞬で崩れ去り、甲賀三郎という大蛇が登場します。
屋台崩しの検証実験を稽古場と花園でやりました。正しく綺麗に崩れるのも駄目だと解るのですが実際にちょうど良くやるのは難しいです。組み立てるのも片付けるのも全員でやらないとできません。初日の前に5回は崩落の実験をやらせてもらいました。
2幕では芝居小屋の中の異空間では津波を乗り切る船が出てきます。これも稽古場ではとても組めない大きさなので花園で初めて組んで動かしました。
いずれもVecorWorksが助けてくれました。
<3.テントで室内劇「贋作・幕末太陽伝」>
作・演出:鄭義信 美術:柴田隆弘
参考資料:美術図面・製作図面・没になった潜水艇・他
劇場のような場面転換が多数ある芝居は野外では難しいです。オープニングで客席入り口から映画用カメラクレーンが入ってきて、舞台奥から間口4間のお座敷の引き枠が現れる。お座敷の上の踊りシーンを撮影している。撮影シーンが終わるとすぐにセットの解体が始まるのですが、客席前では2人芝居が進行しているので無音でセット解体をしなければならない。G.Pまではやったのですが、演出家から「解体が面白すぎるから転換して後ろでやって」と言われて大変更になりました。(ごめんなさい・・・)
転換のたびに出てくる撮影所の外の壁は蛇腹の折り畳みで上下の袖に収納されます。壁パネルをダイケンのレールで支えて動かすのは調整が大変でした。単管パイプで組んだテントは荷重によって少し撓むのです。
<4.江戸の芝居小屋「贋・四谷怪談」>
原作:鶴屋南北/脚色:立松和平/構成演出:西沢栄治 美術:加藤ちか
参考資料:客席の図面・舞台の図面・スライドステージの図面
江戸の芝居小屋風の客席や舞台が作りたいというのが最初の構想でした。そのためには、客席も2階建てにしたいのですが、天井が低いし、2階席にすると客席数が減るのですが、プロデューサーはOKしてくれました。結果、お客さんは「あそこから見たい!」と2階席の客席を喜んでくれました。この図面を起こすには試行錯誤しながら稽古前に1か月以上かかりました。舞台へつながる下手花道は客席の構造上の制約で理想の位置より少し下手に外れました。(ちょっと残念)
四谷怪談の穏亡堀のシーンでは本水を使うので、プールを作らなければなりません。プールの場合には必要な深さと可能な深さや大きさ、プールを隠す蹴込部分の高さがどれくらいまでが可能かなどを考えました。スライティング・ステージでこのプールを隠すことになるのですが、その構造と強度、最小の厚さはどのくらいに出来るかを考えます。
お岩さんの見せ場の本水はどう出すのか、上から?下から?その場合の方法とどのくらいの水が必要か。たどり着いたのは本水を下から吹き上げる噴水の仕掛けと下手に水タンクを載せたタワーを建て上から滝のように降らせるもことでした。
舞台上に飛び散った水のハケル経路は舞台奥の床を少し傾けてプールに戻すことにしました。このスライディングステージの上には屋台の引き枠が乗るのですが、舞台奥の床の傾斜は3尺で1cmくらいにしても水はプールに戻ってくれました。水道屋さんの言葉は正しかったです。感謝!
<5.野外の凸凹の土の上で舞台をスライドさせる「20世紀少年少女唱歌集」>
作:鄭義信 演出:松本祐子 美術:島次郎
参考資料:美術模型・舞台の図面・トロッコと引き枠舞台の図面
昭和。少し前の地方都市。廃線路の引込み線の奥、懐かしい野原が残り、取り残された僅かばかりの土地にバラックを建て、はみだす様に生きている4姉妹とその家族、男達。そこに暮らす奇妙な人々。ある者は「むこう」を目指し、ある者は「そこに」止どまり、愛憎入り乱れての葛藤がある。立ち退きを迫られる中、事件は起こる・・・・。
だが、子供達の遊び声だけは絶える事無く・・・・
「さよなら、あたしの少女時代、さよなら、あたしの街、さよなら、いくつもの思い出たち……さよなら、いとしいものたち……」さよなら20世紀・・・21世紀はすぐそこだ・・・・。
バラック家々が載る3層の舞台が引き枠になっていて、ラストシーでその舞台が割れ、鉄のトロッコレールが現れ、客席奥の花道からトロッコに載った子供たちが千本のヒマワリが咲き乱れる背景へと走ってゆくという設定。
本当に、千本のひまわりの造花を買ってもらいました(笑)。トロッコレールを買って敷設し、トロッコを借りて木造の子供たち手作りした造形を載せて動かしました。
地面の不陸が1尺以上あるところに大型の引き枠を走らせるのはかなり大変で、車輪の下に幅28㎝の板を敷いてその上を動かしました。
こういう用途には農業用の空気タイヤもありますが、今回は建枠を使いました。
<6.終わってからも数日間続くバラシと搬出、宇都宮と東京の倉庫への搬入と整理など>
参考資料:バラシのチェックリスト
実はこのバラシが最も過酷になりがちです。人数が減ると本当に苦しいです。また、雨が降るとすべての予定が狂います。とはいえ、仕込みをして様々の天候の中の本番を乗り越えてきた猛者たちはやり切ってくれます。
千穐楽の夜もいつもと変わらず毎日打ち上げをやります。この日の宿直はありません。大勢がテントに残っているからです。打ち上げの間も出演者とスタッフは朝8時から始まるバラシの事を考えています。ただただ雨が降りませんように!!!
<バラシの一日目>
朝8時集合。舞台スタッフはテントの天井の仕掛けを撤去します。並行して、照明さんは舞台奥のタワーに仕込まれた照明機材やケーブルを撤去します。音響さんはスピーカーやケーブルを撤去します。音響・照明さんたちは機材についた泥を落として、機材の整理をして箱に詰めてそれぞれの倉庫へ運びます。午後いっぱいまでかかります。お疲れ様でした。
テント班はローリングタワーを組んで上空でのバラシと荷下ろしに備え、舞台上のセットや仕掛けをバラします。ここでレンタル鉄材の集積場所を作ります。すべての単管パイプや建枠などを所定の位置に積み上げ、数量が揃ったら番線を巻いて縛ります。ここから本格的バラシが始まります。
参道向こうの特殊小道具製作と機材倉庫(通称クジラ小屋)をバラします。受付のテントと屋根もバラします。
その他のみんなで客席ひな壇の上を片付けます。座布団を数時間天日干しして袋に詰めて、長椅子を分解してかご台車に詰め込みます。上に何もなくなったら客席ひな壇をバラシます。
午後には産廃業者が来て、ゴミを積み込んでくれます。
本テント(舞台と客席)は屋根のシートを剥して、脇の張り出し部分をバラします。
すべての資材は所定の位置に積み上げられ、明日の積み込みに備えます。
<バラシの二日目あるいは三日目 延々と積み込みです。>
朝8時集合。残っていた本テントの骨組みを完全にバラシて鉄材置き場に積み上げます。これで鉄骨関係のバラシは終了です。午後1時には鉄材を積み込みにクレーン付き大型トラックが来ます。
楽屋テントも私物を全部ブルーシートの上に移動して内部をバラシます。
10時には彩工社の大型トラックが平台・パネル・箱馬などを積み込みに来ます。延々と積み込みをやり続けます。
2t箱トラックとワゴン車に返却する物、東京の倉庫へ返す物を積み込んでピストン輸送します。
そして午後には宇都宮の倉庫へ行く箱トラック4台と平トラックに資材を積み込んでいきます。
産廃業者は溜まったゴミを積み込んでくれます。最後に一列になってゴミ拾いをして、これを産廃トラックに載せたら終わりです。花園神社ありがとう!!
翌日、宇都宮の荷下ろしをして、倉庫の片付け、洗濯・乾燥、返却などを終えると本当に最後の打ち上げをします。お疲れさまでした!!